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2016年3月

小説という真赤な嘘を嘘として築くために、蓮實重彦「伯爵夫人」は本当以上のもっともらしさで小説と戯れてみせるのだ

【今日の言葉】

だが、もしそれが事態の正しい解釈だとするなら......
(蓮實重彦「陥没地帯」)

【読書日記】

こんにちは。ともです。
今日は文芸誌「新潮」2016年4月号に掲載された―蓮實重彦の「オペラ・オペラシオネル」以来―22年ぶりの新作小説「伯爵夫人」を読みます。
内容にわたる記述を含みます。未読の方はご注意ください。

■あらゆる時代を通じて徹底した希薄な輪郭しか享受しえなかったこの不幸な記号

蓮實重彦はこれまでに2作の小説を発表しています。1作目の「陥没地帯」は、「エピステーメー」1979年7月臨時増刊・終刊号に掲載され、1986年3月に哲学書房から刊行、1995年2月には河出書房新社から文庫本として再刊されています。その小説が与えた影響と非影響については文庫版の武藤康史「解説」に詳しいのでここでは繰り返しません。

2作目の「オペラ・オペラシオネル」は、「文藝」1994年夏季号に掲載され、1994年12月に河出書房新社から単行本が刊行されています。残念ながら、どなたかが書評をしたものを紙の刊行物では見たことがありませんし、国立国会図書館サーチで検索してみてもそれらしきものは見当たりません。

ということは、1979年にデビューした新人小説家たる蓮實重彦は、なんとゆうに30年を超える小説家としてのキャリアのなかで、これまでたった2作しか小説を発表せず世評をもほとんど得ていない「知られざる作家」ということになります。何と贅沢な小説家なのでしょうか。東大総長まで務めて世間的にはその名の通った小説家がこれまでたったの2作しか小説を発表しないということが、この21世紀の日本で許されるものなのでしょうか。

と、思って今回「新潮」に発表された新作小説を読むまでは「既に蓮實重彦は小説家を廃業したのだ」と私はすっかり誤解していました。その誤解を一瞬で吹き飛ばすほど、蓮實重彦の新作小説「伯爵夫人」は狂暴な言葉の運動を見せていたのでした。

■実際、映画が何であり文学が何であるかを知るものなど、誰もいはしない。

蓮實重彦「伯爵夫人」を通俗的に要約してしまえば、1941年12月8日の午後から夕方まで、帝国ホテルの一角で、旧制高校に通う華族の嫡男・二朗と、伯爵夫人と呼ばれる中年女が過ごす、現在と回想の入り混じった「語り」が中心となる官能小説。といったところでしょうか。付け加えれば、至る所に戦前に公開された映画からの引用がなされ、時代背景を示唆する文学的な記号がちりばめられ物語を彩るとともに、スパイ映画の要素もふんだんに盛り込まれ、戦争映画のような場面も登場する一大活劇のような小説、とでも言っておけばひとまず安心できる文脈に収まるかもしれません。

とはいえ、そんな通俗的な要約がこのテクストの前では全く歯が立たないことは明白です。

「1941年12月8日」とひとまずは要約してみたものの、テクストに出てくる「帝國・米英に宣戦を布告す」からの推測であり、「帝國・米英に宣戦を布告す」というタイトルが新聞の一面に載ったのは朝日新聞の1941年12月9日の夕刊で二朗が目をやった夕刊とも符合するのですが、「伯爵夫人」のテクストには「1941年」とも「12月」とも「8日」とも一言も出てこない。テクスト外の事情によって、われわれはそう読んでいるのに過ぎないのです。

「ボヴァリー夫人」に「エンマ・ボヴァリー」という記載はないと断言し、テクストにテクスト外のものを読む者を断罪する蓮實重彦ですから、これはうっかり「戦前の日本が舞台となった」などと口にしてはいけないのです。なぜなら、「1941年12月8日」とはテクストのどこにも記載されておらず、それはテクスト外のものを読む行為だからにほかならず、仮にテクストの現在が「1941年12月8日」であったとしても、なおその日に「真珠湾攻撃」は既に行われており、とても「戦前」と呼ぶことはできないからです。

■誰が、どこから語っているか

映画的な記憶を呼び起こす記号の群れがこの小説にはいくつも出てくるのですが、伯爵夫人の名前の由来である「素顔の伯爵」とは、マンキーウィッツ監督「素足の伯爵夫人」へのオマージュでしょう。

マンキーウィッツ監督「素足の伯爵夫人」では、「ジプシー女でかつての裸足のダンサーは伯爵夫人となるのだが、夫は戦傷による性的不能であり、不貞に走り夫の銃弾に倒れる」という物語が語られます。片や蓮實重彦の「伯爵夫人」は、日本人女でかつての高級娼婦は、結婚していたわけではない「素顔の伯爵」と晩年の数年間を過ごし、周囲から「伯爵夫人」と呼ばれるようになり、戦傷による性的不能となった男のからだを心から愛した、という物語が語られます。結婚と未婚、ジプシー女と高級娼婦、愛情と嫉妬という対立軸を作りながら、性的不能の男をめぐってのヴァリアントを作るこの物語は、「素足の伯爵夫人」をオリジナルとしながら、そのパロディとして「素顔の伯爵」夫人という物語を語っているかのように思われます。

「それにしても、目の前の現実がこうまでぬかりなく活動写真の絵空事を模倣してしまってよいものだろうか。」

しかしながら、仮に「伯爵夫人」の小説的現在が「1941年12月8日」だとしたら、1954年に公開された「素足の伯爵夫人」がオリジナルであろうはずもないのです。では、「素足の伯爵夫人」が逆に「伯爵夫人」の物語をオリジナルとなるのか、といえば事態はそんなに単純ではないと思われるのが正しいでしょう。なぜなら、蓮實重彦「伯爵夫人」は2016年の日本で発表されたフィクションだからです。

また同じことが「男性の好きなスポーツ」(ハワード・ホークス監督 1964年)についても言えるでしょう。

■帝国の陰謀

このようなテクストのオリジナルとヴァリアントの複雑な関係、いいかえればテクストとその上演としての現実の「事態の逆転」を近代の「反復」として描いているテクストがこの小説の著者によって既に書かれています。

それが蓮實重彦「帝国の陰謀」です。

フランス第二帝政期に内務大臣、立法院議長として活躍したド・モルニーの、ナポレオン三世のクーデターに際して出されたテクストと、彼が草した喜歌劇のテクストを分析する蓮實重彦は、「まだ上演されてさえいない作品を、それが描かれるよりも正確に十年前にあらかじめ実演」してしまうような事態が近代以降成立していることを手品のようなあっけなさで描き出しています。

ド・モルニーが「私生児」として生まれ、生涯他人の名前でしか署名していないこと、始原としてのオリジナルな署名を欠いたテクストという主題に加え、第二帝政期の爛熟した文化、ドゥミ・モンドと呼ばれる高級娼婦や情婦という乱れた性風俗にも触れる蓮實重彦は、どこか「伯爵夫人」の世界をその二十五年前に既に描いていたかのようです。

■反復

「反復」としては、この小説は、いくつもの細部の反復が繰り返されていきます。

「ばふり」という擬態語、白目をむく気絶、ルイーズ・ブルックスまがいの短い髪型、修道女のモチーフ、戦場の光景......。

これらの反復は、何がオリジナルで何がヴァリアントなのかを問うことを無効にして、結局はすべてがフィクション、本当以上にもっともらしい「嘘」なのだ、とでも突き放しているかのようです。

最後に、この小説を現時点で的確に批評していると思われる文章を引用して終わりにしたいと思います。

「いわばステロタイプの饗宴である。風景は絵葉書のように薄っぺらだし、人物は心理を剥奪された機械人形のようにぎこちない。女たちはいずれも典型的な娼婦のイメージにおさまり、男たちもまた、性的偏執者の類型そのものだ。想像力は豊かに飛翔するというより、むしろ涸渇し、物語は無理に辻褄を合わせようとする者の言訳のように矛盾と反復に充ち、自分から罠に落ちて、訊ねられたわけでもない秘密を漏らしてしまう。だからその物語は、隠されていたものが徐々に露呈されてゆくのではなく、はじめから露呈されていたものが、そのあからさまな露呈ぶりを重層化してゆく過程をたどることになるだろう。この重層化の過程が、決してひとつの真実の意味にはたどりつくことのないイメージの多声的戯れへと見るものを導きいれ、表面という名の奥行を欠いた迷路の中の、距離と深さを奪われた表層的な彷徨へと駆り立てる。」

(蓮實重彦「映画作家としてのロブ=グリエ」 『シネマの記憶装置』(1979年)収録)

では。

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