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ローマの窓から平和憲法が見える-木庭顕「法学再入門:秘密の扉-番外篇」

【今日の言葉】

だがそのまえに、呪わしい欲望が、軍勢をとらえるのではないか
壊してはならぬものを、壊すことになりはしないか
(アイスキュロス「アガメムノーン」)

【読書日記】

こんにちは。ともです。
今日は、雑誌『法学教室』2015年8月号に掲載された木庭顕「法学再入門:秘密の扉-番外篇」を読みます。

■番外篇とは何か

木庭先生による「法学再入門:秘密の扉」は、「民事法篇」が2015年3月で終了してしまい、最近は『法学教室』を読むことも無くなっていました。が、なんと8月号に「番外篇」が予告されているではないですか。で、刊行前に「番外篇」とは何かについて、いろいろと妄想してしまいました。

ふと頭をよぎったのは、木庭顕「ローマ法案内」の序における「『ローマ法』は私法であるとは限らない」という一節です。

最近では、ほぼコンセプトを同じくする「公法・刑事法の古典的基礎」http://catalog.he.u-tokyo.ac.jp/g-detail?code=25-6591&year=2015&x=40&y=8という授業もあるようですので、もしかしたらそのテクスト化なのか、とも考えましたが、未だテクスト化するには早すぎますし、もしそうだとしたら「公法・刑事法篇」と銘打っての長期連載となるはずです。

では何か。

と考えたとき、最近木庭先生が公表される文章において、ある一定の懸念を表明していることが気になりました。

■懸念

東京大学出版会の『UP』2014年12月号に掲載された木庭顕「知性の尊厳と政治の存亡」においては、三谷太一郎「人は時代といかに向き合うか」の書評という形をとりつつ、特に註において厳しい現実批判の言葉が並んでました。

いわく「ポップな妄想に駆られ(憲法さえ軍事化=産業化す)る政治セクターは全くチャンスの無い路線を80年ぶりに再現する」と、足許の政治動向が、満州事変以降の軍国主義の路線に回帰しつつあることを示唆する鋭い指摘をしています。

また2015年1月に刊行された木庭顕「笑うケースメソッド 現代日本民法の基礎を問う」では、「日本国憲法や人権理念に対する攻撃のほんとうの動機がむしろ占有破壊ドライヴに存することが多い。ありていにいえば、憲法破壊は修飾部分であり、ほんとうにしたいのはつねに土地上集団の活性化・軍事化である」という指摘もありました。

深い現実政治への懸念をそこからは読み取ることが出来ます。

そこで、足許の安保法案論議です。まさかとは思いましたが、「番外篇」では、ギリシャ・ローマから見た「憲法論」が展開されているのです。そして「集団的自衛権」に関する議論までもが展開されているのです。

■木庭三部作

今回の「番外篇」は、木庭三部作「政治の成立」「デモクラシーの古典的基礎」「法存立の歴史的基盤」の骨子がもれなく網羅されています。というより確固たる理論的視座を構築した木庭先生が、それを縦横に駆使して現実を分析しているというほうが正しいかもしれません。その中で「政治システム」についても「自由な主体間で厳密な議論を交わして決定すると、人々は自発的にそれに従うという原理」と明快な定義が示されています。そしてそれは、不透明な集団を作り上げる社会学的事象を排除することによって成立するものであることが、繰り返し示さています。「政治の成立」の用語を使えば、政治は分節articulationという概念で表現され、社会学的事象は枝分節segmentationという対概念となります。

そして「法」すなわち「占有」は「一番追いつめられた人の立場に一方的に立って事態を見る」こと、「事態を素早く、冷静に分析」することであると簡潔にその意義が示されています。言い換えれば、分節articulationを最も弱い個人に対して成立させることによって、枝分節segmentation集団を排除することになります。

そして「法存立の歴史的基盤」で示された通り、占有が原基となって、その後の公法・刑事法・民法の諸概念が形成されてきたことを前提として議論が進んでいくのです。

■占有原理から憲法9条を読む

この「番外篇」の白眉は、「個別的自衛権」が占有原理であるのに対して、「集団的自衛権」とは、占有侵害の実力行使である横断的実力形成vis armataであると断じている箇所です。

木庭顕「ローマ法案内」では、vis armataに関して、「まだ占有侵害に至らないとしても既に内部軍事化を完了した単位は危険である。中が火の玉になった単位を近傍に持つことは大きな危険を意味する」としvis armataは他への侵害以前に違法と言えると解説しています。

そして「番外篇」においては、「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない」の英訳「land,sea,and air forces,as well as other war potential,will never be maintained.」に言及し、「"war potential”の語が印象的だ。いくら防御のためと称しても中を火の玉のようにして軍事体制を作り待ち受けることも禁じられるというのは古典的な法原則だ。内部に文節を擬制しその分節を融解させることも横断的軍事化vis armataと看做す。これは脅威ないし危機の法学的定義である」と集団的自衛権の違法性につきローマ法の観点から断じています。

「占有」の射程が、憲法のうち人権規定まで延びるのは「最後の一人=個人の尊厳」の観点から想定はしていましたが(このブログの記事『ギリシャとローマの交錯点としての憲法96条―木庭顕「デモクラシーの古典的基礎」「法存立の歴史的基盤」から読む』をご参照くださいhttp://tomonodokusho.cocolog-nifty.com/blog/2013/05/96-4b2d.html )、正直、「占有」の射程がそれを飛び越え、憲法の平和主義、憲法9条にまでも及ぶというのは驚きでした。

確かに、日本における最大の実力組織は暴力団と米軍であると指摘し続けてきた木庭先生から見れば、米軍とともに横断的実力形成・軍事化を図る「集団的自衛権の行使」は「占有違反である」ということは至極もっともなことなのだろうと思われます。

木庭先生の鋭い知性は、そのように「集団的自衛権の行使」(番外編の言葉では桃太郎の鬼退治)を進めようとする背景・原因にまで切り込んでいきます。一言で言ってしまえば、彼らは占有原理の観点からは「排除するべき枝分節segmentation集団」だという指摘になります。

■誰のものでもない

そして憲法とは「皆のもの」(占有して皆で取り分けることが出来るもの)ではなく、「誰のものでもない」(誰も占有しえない)と木庭先生がいうとき、私は、res publica共和国という言葉の原義はそう訳すべきであったのかもしれないと考え、改正限界の基礎理論は「誰のものでもない」という公共概念を前提とすべきなんだろうなと気づくことになります。

また自主憲法制定論に対し、ソロンの立法や十二表法までもちだして、そもそも憲法は第三者(外国人)が書いてそれを批准するものだ、という木庭先生の大胆な反論にニヤニヤすることになります。また逆説的に学問と文藝の重要性が浮かび上がる、という仕掛にはドグマティックな法律論では味わえない知的好奇心に胸を躍らせることになります。

まだまだ指摘したいことは多くあるのですが、下手な要約よりは、直接読んで分析して頂いた方が面白いテクストですので、みなさまの感想も是非お聞かせください。

では。

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