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固有名詞がいっぱい-綿矢りさ「ウォーク・イン・クローゼット」

【今日の言葉】

唇をつけた。オレンジ色の冷たいアイスが彼の唇の熱で溶けてゆく。
(綿矢りさ「ウォーク・イン・クローゼット」)

【読書日記】

こんにちは。ともです。
今日は、群像2015年8月号に掲載された綿矢りさの新作「ウォーク・イン・クローゼット」を読みます。
内容にわたる記載をしますので、未だ読んでいない方はご留意ください。

■綿矢りさの小説の規則

いくつかの綿矢りさの小説を読んできて、この作家は、自分で設定した小説の規則を愚直に守っているように思われます。その規則とは、

①「書き出し」は、最大限の注意を払い、そこに小説の主題を提示する。
②「人称」の選択に注意を払い、「固有名詞」と併せて、効果的に使用する。
③「固有名詞」が露呈するときには、何か重大な事件が起こるか、重大なことが判明する。

というものです。

綿矢りさの新作「ウォーク・イン・クローゼット」においてもこの規則は有効に機能しているというのが、私の読み方の仮説となります。まずは、「書き出し」からこの小説の主題を探ってみましょう。

■書き出し=小説の主題

綿矢りさは、「書き出し」に非常に注意を払って小説を書いています。本人のインタビューでもそのような趣旨の発言をしていますし、いくつか私が読んだ小説の中でも、書き出しにその小説の主題がもれなく提示されていました。というわけで、書き出しを読んで、この小説の主題をみてみましょう。

「時間は有限だ。でも素敵な服は無限にある。年齢に合わせて似合う服は変わる」

というのが、この小説の主題となろうと想定されます。綿矢りさは、小説の冒頭部分に形而上学的なモノローグを挿入するケースが多いのですが、注意しなければならないのは、一般命題を提示しているかのようにみえる文章も、よく見ると、なにやら哲学的含意があるわけではないということです。

まず「時間は有限だ」という命題についてみましょう。

時間の本質は何か、という探求は非常にさまざまな答えがあろうかと思います。哲学的な思索もあるでしょうし、物理学的な回答もあろうと思います。が、ここではそんなことは問われていません。

「時間は有限だ」という命題には、この小説の制約が存在するのです。規則②の「人称選択」からそれは明らかになるのですが、この小説では第二段落から登場する「私」という一人称が語り手として選択されているのです。ということは、「時間は有限だ」という命題には、「私にとって」という明示されてはいないものの、第一段落に遡ってそう補って読まれるべき制約があるということです。

続いて「素敵な服は無限にある」という命題を見てみましょう。客観的に考えれば、地球上の物質は有限であることから、地球上に存在する服も(数えられる人は存在しないにせよ)有限であることがわかります。が、ここで綿矢りさはそんなことを言っているのではないことは明らかです。この小説の「私にとっては」、「素敵な服は無限にある」という主観的な独白がここでは提示されているのです。

同じように「年齢に合わせて似合う服は変わる」というのも客観的な真実が開示されているわけではありません。あくまでこの小説の「私にとっては」、「年齢に合わせて似合う服は変わる」という主観的な見方が提示されているのです。

そんなことあたりまえではないか、という声が聞こえてきそうですが、そのことが後々、この小説に関する重要な解釈につながっていくので、ここはもうしばらくお付き合いいただきたいと思います。

■固有名詞の氾濫

次に規則②の「固有名詞の効果的使用」についてみてみましょう。

綿矢りさのある程度の読者であれば、この小説はいままでと何かが違うな、と読んで感じたはずです。これまで私が読んできた綿矢りさの小説では、そもそも主人公に固有名詞が与えられていなかったり、敢えて場所の固有名詞を明示しなかったり、という固有名詞を極力忌避する姿勢が見られました。だからかえって固有名詞が出てくるときには注意を要したのです。それが規則③の「固有名詞」が露呈するときには、何か重大な事件が起こるか、重大なことが判明する。につながっていました。

ところがこの小説には固有名詞があふれかえっているのです。

場所を示す固有名詞はこれまでになくバラエティ豊かです。

外国ではイギリス、タイ、チベット、カンボジア、インド、フランス、フィンランドなどが出てきます。国内でも新宿、原宿、みなとみらい、渋谷、麻布十番、六本木、代官山、湯河原、伊勢などが出てきますが、物語は主に小説には単語として出てこない「東京」において進行していることがわかります。

ブランド名や商品、商号なども固有名詞で語られるのが非常に新鮮です。

アクエリアス、チケットぴあ、ミッキーマウス、リカちゃん人形、バービー、JR、ヤマト運輸、佐川急便、ラデュレ、トミーヒルフィガー、グランドハイアットという固有名詞が綿矢りさの小説に出てくることは新鮮な驚きです。

とはいえ、これらの固有名詞は田中康夫の小説に出てくる固有名詞とは違って、特段にトレンドを追い求めたエッジの効いたものではありません。敢えて言えば、田舎から出てきて都会で暮らし始めた人が、「ああ、東京にはこういうものもあるよね」と目につく程度の固有名詞とでもいったらよいでしょうか。

また、これらの固有名詞にいちいち反応して、小説内で「何か事件や重大なこと」が起こっているわけではありません。その意味で、この小説「ウォーク・イン・クローゼット」では「固有名詞のインフレーション」が起きており、一つ一つの固有名詞の価値は下げられていることになります。

じゃあ、規則③はどうなるのか、というと、「人称と固有名詞」の関係にここでは注目すべきなのです。

■人称と固有名詞

この小説のヒロイン「私」の固有名詞が判明するのは、小説が若干進行した4頁目、「ユーヤ」との会話の中です。

お互いを「早希」「ユーヤ」と呼び捨てにする二人の関係は、「私がだいぶ前に告白して一度ふられてから、ずっと友達関係」というものです。後で、「もう恋愛対象じゃなくて完全に友達」「私だって年を経て異性と友だちの関係を築けるくらいのスキルは学んだ」とも語られますが、「ユーヤ」が「運命の男性」であろうことはヒロインの固有名詞が判明する場面からして明らかです。

この「私」の名前が判明する場面は、最後の一文に「胸の高鳴り」という言葉が出てくることへの伏線となっているのです。ヒロインの「完全に友達」という言葉よりも、「固有名詞の判明」という小説的事実の方が、物語に忠実だということがわかるのではないでしょうか。

とはいえ、そんなことはこの小説にとってはどうでもいい、重要なことではないと言わんばかりに二人の会話の場面には固有名詞が溢れています。何が起きているかというと、更にもう一つ固有名詞に関して、より重要なことがここでは起こっているのです。

それは、人物の固有名詞、すなわち名前を追っていくことによって判明します。

不思議なことに、ヒロインである「私」には苗字がないのです。同じくヒロインの運命の人である「ユーヤ」にも苗字がないのです。ここでサスペンスが生じることになります。この小説で苗字を持っているのは誰か。

その人こそ、この小説で重大な事件を発生させ、重大なことを明らかにしてくれる犯人であるはずなのです。

■犯人は誰か

あっさりと答えを言ってしまえば、「末次だりあ」と「吉田朝陽」という二人だけが苗字を持っているのです。そして「末次だりあ」は、芸名ではなく本名であることが「私」との幼少時の出会いの場面から明らかにされています。このさりげないような名前の配置の仕方が、綿矢りさの言葉の配置の周到な計算によるものであることは明らかです。

では、「末次だりあ」にどんな事件が起こったか。

苗字を持っている末次だりあは、苗字を持っていない「私」に対して次の告白をします。

「私、妊娠してるんだ。事務所には内緒にしてる」

この一言で、この小説の本当の主人公は、「私」=「早希」ではなく、「私」=「末次だりあ」だと宣言しているのです。苗字の無いキャラクターが主人公だなんて笑わせないで、苗字を持っている「私」=「末次だりあ」が近代的主体としての「私・小説」の主人公として正統なのよ。異性と友だちの関係を築けるくらいのスキル?だなんてお子様じゃないんだから。女は男と恋愛して子どもを生むものよ。とこの一言は、高らかに宣言しているかのようです。

すでに気づいている人もいらっしゃるかもしれませんが、もう一人の苗字をもったキャラクター「吉田朝陽」が「末次だりあ」の「相手の男の人」なのです。そう思って是非ginbackのライブ前後の場面を読み返してみて下さい。末次だりあは、相手の男を「朝陽」と呼び捨てにしているのに対して、吉田朝暘は「だりあさん」とさん付けで呼びながら直後に「あなた」と、距離感が近いのか遠いのかわからない呼び方をして、「おれのライブに来るなんて意外」という科白をはいているのです。捨てた女との突然の面会に狼狽している男の場面、とみるとなにやら納得がいくものです。

「出会った女の子みんな口説く」「ファン食い」とは、末次だりあの直接的な経験を語っているものなのです。だから次には吉田朝陽を「あいつ」呼ばわりまでするのです。

ここでこの小説の主題であった「私にとっては」「年齢に合わせて似合う服は変わる」。にいう「服」とは「マタニティ」であったことが判明するのです。

■蛇足

以上に見てきたとおり、やっぱり綿矢りさは3つの規則に忠実に小説を作っているようです。

で、ここから先は勝手な想像です。前回、結婚して新居に引っ越す女性を描いた小説「履歴の無い女」を発表した後、綿矢りさは結婚を発表しました。ここは、前回私は「結婚の小説を書いたからって、結婚するとか、それは無いだろう」と読みたがえてしまいました。今回も知りませんが、綿矢りさの妊娠発表が近々あると面白いでしょうね。何故なら、この小説にはもう一人「綿矢りさ」という苗字をもった固有名詞の署名があるのですから。

では。

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