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2014年12月

事件のない犯罪小説-綿矢りさ「履歴の無い女」

【今日の言葉】

「おまえは...中身がないではないか。
 本当に...空っぽな奴だな。」
(曽田正人「テンプリズム」2)

【読書日記】

こんにちは。ともです。
今日の読書は、雑誌「文学界」平成27年1月号に掲載されている、
綿矢りさの最新小説「履歴の無い女」を読んでみたいと思います。

以下、ネタバレが含まれますので、未読の方はお気を付け下さい。

■ケレン味の無い第一印象

綿矢りさ「履歴の無い女」を一読した読者は、すっかり拍子抜けしたのではないでしょうか。これまで、女子学生や独身女子の焦燥感やエキセントリックな言動を、言葉巧みに描きだすことを持ち味としてきた綿矢りさが、本作「履歴の無い女」では、新居に引っ越しの荷物が届く前のとある午後に、最近結婚したばかりの姉と既に家庭を持っているその妹が夕飯を作りながら交流する、という一見、幸せそうな「勝ち組」の物語ともとられる内容の小説を書いているからです。あっさりしすぎていてケレン味がない、というのが私の第一印象でした。

前作「こたつのUFO」に引き続いて、一人称「私」で語られる小説構造は不変です。引き続き綿矢りさが、独自の「私小説」を選択して追求していることがここからは判明します。

ところが、ことはそう簡単ではありません。そこはやっぱり厄介な「私小説」作家である綿矢りさです。本作にもさまざまな仕掛けが施されており、とりわけ本作は、綿矢りさの「犯罪小説」として読める、というのが私のここでのとりあえずの仮説です。以下にテクストに沿ってみていきましょう。

■綿矢りさの「犯罪小説」

綿矢りさは、小説の冒頭に主題を置くことがその特徴です。
本作「履歴の無い女」では、冒頭の一文で「携帯とその履歴」がまずは主題となっています。

そして第二段落の冒頭で「きっと殺人犯罪なんかのアリバイも携帯一つで証明でき」(98頁)とおもむろに「犯罪」という言葉が出てきます。そして、たてつづけに「ミスや邪悪な心が生んだ犯罪」(99頁)、「携帯にもブログにも日記にも経歴にも犯罪歴にも記載されていない瞬間」(99頁)と冒頭部分において三回にわたり「犯罪」という言葉が出てきます。

それを裏付けるかのように、「これ、故意にちょっと焦がしている」(102頁)と敢えて刑法の専門用語である「故意」が「私」の会話文の中で用いられています。ここでは、本作が「犯罪小説」ではなければ、「故意に」ではなく、「わざと」や「好きで」なり別の言葉を選択することも出来たと思われます。しかしながら「犯罪小説」である本作では、わざわざ「故意」という刑法概念が選択され利用されているように思われるのです。その他にも「裁判」「証明」「証拠」(98頁)という刑事訴訟法的な概念がここには表れてきます。

このように本作は、綿矢りさの初の「犯罪小説」であることが、小説の冒頭部分において宣言されているのです。

では、小説の語り手である「私」は、どんな犯罪を犯しているのでしょうか。

■「私」の「犯罪」(その1)

まず候補として挙げられるのは、「私」が「他人の闘病記」や「スキャンダル」(99頁)を「覗き」見(100頁)するという「出歯亀」行為(100頁)があります。

ここで軽犯罪法を覗いてみましょう。

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軽犯罪法 第一条 二十三号 正当な理由がなくて人の住居、浴場、更衣場、便所その他人が通常衣服をつけないでいるような場所をひそかにのぞき見た者
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以上の「覗き見」行為の構成要件からは、「公開」されている「ブログ」や「写真週刊誌」(99頁)を見る行為は、「通常衣服をつけないでいるような場所」とはいえませんし、「ひそかに」と規定する軽犯罪法には該当しないようです。これは、現在の日本刑法においてプライバシーを侵害する行為に対する直接的かつ包括的な処罰規定がなく、住居侵入罪等の個別の処罰規定により細切れにプライバシーが保護されていることが背景にあります。

ということで、「私」の「覗き見」は「犯罪」ではないようです。

■「私」の「犯罪」(その2)

つぎに候補として挙げられるのは、「名乗りたい名前を勝手に名乗」る「騙り(かたり)」行為(99頁)です。

「他人ごとのようなふりをして、本も出した」(99頁)というのですから、候補となる犯罪は「私文書偽造罪」でしょう。刑法を見てみましょう。

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(私文書偽造等)
第159条 行使の目的で、他人の印章若しくは署名を使用して権利、義務若しくは事実証明に関する文書若しくは図画を偽造し、又は偽造した他人の印章若しくは署名を使用して権利、義務若しくは事実証明に関する文書若しくは図画を偽造した者は、3月以上5年以下の懲役に処する。
2 他人が押印し又は署名した権利、義務又は事実証明に関する文書又は図画を変造した者も、前項と同様とする。
3 前2項に規定するもののほか、権利、義務又は事実証明に関する文書又は図画を偽造し、又は変造した者は、1年以下の懲役又は10万円以下の罰金に処する。
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ここで規定されている犯罪の対象は、「権利、義務又は事実証明に関する文書」に限定されています。そして解釈上「通称名の使用」に関しては、受取人との関係で文書作成の責任主体を偽るものでない限り、私文書偽造罪は成立しません。つまりここで記載されるようなペンネームでの本の出版は、犯罪にはなりません。

■自己同一性=アイデンティティーを偽ること

とはいえ、「偽造」の定義を考えてみると、「犯罪」の構成要件には該当しないものの、「偽造」概念一般には該当してくるように見えてきます。

即ち、刑法上「偽造」の本質とは、「文書の名義人と作成者との人格の同一性を偽ること」という定義が用いられるからです(最判昭和59年2月17日・刑集38巻3号336頁)。

「他人ごとのようなふりをして、本も出した」ということは、「人格の同一性を偽る」という、まさに、そのものの行為であり、だから「私」は「罪悪感」(102頁)があると告白することになります。

では、自己同一性というものは一体どうやって証明することが出来るのでしょうか。

■自己同一性の証明

「私は私である」と無垢に世間に向かって叫ぶだけでは、「自己同一性」というものは証明されません。様々な記号が「自己同一性」を証明する資料として付け合わされ、相互に厳密に一致することによって、自己同一性が証明されることになります。

その自己同一性を証明する資料を、綿矢りさは本作において、「履歴」と表現します。付け合せ作業により世間によって「自己同一性」を証明する複数の資料である「履歴」。シニフィアンとシニフィエという言葉を使うことが許されるならば、シニフィアンは「履歴」を指し、シニフィエである「自己同一性」を担保することになるでしょう。

ところが「履歴の無い女」において「私」は、「私の根本部分は履歴がないままなのだ。」と宣言します。

蓮實重彦はこのように言います。

「作家」は、奥深い領域に隠された「私」など持ってはおらず、その存在をあらゆる視線に向けていっせいにおし拡げ、すべてをあますことなく人目に晒すことをうけいれた徹底して表層的な個体にほかならない。(蓮實重彦「私小説を読む」)

綿矢りさも、この蓮實重彦がいう「私小説」の「私」の表層性を、本作でも実践しようとしているかのようです。

■「私」の「犯罪」(その3)

で、いったいこの小説のどこが「犯罪」なのか。

この小説の怖いところは、それが描かれているのに書かれていないことにあるのではないでしょうか。

いくつかの違和感がこの小説にはあります。

なぜ、結婚したばかりの夫が、新居におらず、私と妹の二人で夕飯をとっているのか。
なぜ、私の新居の引っ越しなのに、妹が「イトーヨーカドー」に独りで買い出しに行っているのか。
なぜ、妹の夫と娘の固有名詞は出てくるのに、私と妹、私の夫の固有名詞は出てこないのか。

「私」のセリフ、「なんていうかさ、さっきまで独身だったくせに、結婚した途端、夫の職場の近くに買った家とかに住みだして、スーパーで片頬に手を当てながら“今日のお夕飯どうしようかしら”とか思案しだすわけでしょ。私もそれ、自然にできそうな気がするんだよね。」とまるで他人事のように、結婚生活を語る場面。

想像力を膨らませて考えると、これは、何らかの結婚詐欺事件の前夜の話ではないかと思えてくるのです。

そんな想像力を駆使していると、まるで最後の二人が交わす会話、「大切なものを守りながらも、いろんな景色が見たい」「まあ、いっしょにがんばっていきましょうよ」という言葉が、違った意味に響いてくるものです。

まあ、描かれていないので真相は藪の中なのですが。

では。

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