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星間物質になった知性体は一万光年前に捕食した情報物質の夢を見るか?―六冬和生「みずは無間」

【今日の言葉】

命は欲望をもってして輝く。
(六冬和生「みずは無間」)

【読書日記】

こんにちは。ともです。
今日は、久しぶりにSFを読んで感動したので、第一回ハヤカワSFコンテスト大賞を受賞した、六冬和生「みずは無間」を読んだ感想です。
(ネタばれありますのでご注意ください)

■読む前に

黄色い派手な帯で目立つように書店に置かれていたので、「なんか、イチ押し本なんだろうな」とは思いましたが、最近のSF作家の中には、「SFといえども、あくまでフィクション作品である『小説』のひとつのジャンルである」という自明の事実を軽視し、「ストーリーさえ受ければいいでしょ」と割り切っているのか、まったくわかってないのか、文体の修練を経ていないと思われる方もいらっしゃるので、買おうかどうか一瞬迷ったのですが、「ま。立ち読みして『書き出し』を読んで決めようか。」と、立ち読みで冒頭の一文を読んで、私は六冬和生「みずは無間」に完全にノックアウトされました。

これが太陽の見納めかな。

ああ、最近のSF作家に文章力が無いなんて不遜なことを考えるんじゃなかった。なんだこれは!発話主体が男かも女かもわからない書き出し。太陽の見納めだって!どこからどこに行こうとするんだ!時代設定はいったいいつなんだ。太陽はこの時代若いのか、既に寿命つきようとしているのか。この「かな。」は何なんだ。男だったら感慨深げな独り言であろう言葉が、例えば女子だったとしたら、「かな。」の後ろにテヘペロでもついていそうな軽さに思える。一体どっちなんだあ!と、完全に最初の一文から撃沈してしまった私が、そそくさと書店のレジに向かったのは当然のことでした。

■さらに読む前に

さらに読み進んで行っても、ところどころに、はっとさせられるような、一文が次から次へと表われてくるではありませんか。冒頭で引用した

命は欲望をもってして輝く。

もそんな一文。ただ、やな予感がまだ残っていたのは、第一回ハヤカワSFコンテストの選者の一人である東浩紀の最近の言動に「昔のキレが無いな」と思い始めていたところでしたので、東浩紀が最近のボケ(ドゥルーズ用語で言えば「再領土化」の失敗)でなんか変なものを選んじゃったんじゃないか、という疑念を払拭できず、つい小説を読んでいる途中で、巻末の選評を読んだら「ぼくが選考会で最高点をつけたのは」『別の作品だ』と書いてあるではありませんか!良かった~、東浩紀がイチ押しじゃなかったんだあ、と妙に安堵感を覚えて安心して読み進めることができました。(東浩紀についてはここでの主題じゃないので別の機会に触れるかもしれませんが、一言云っておきたいのは「動きすぎてはいけない」の千葉雅也氏は「絶対にいじめちゃだめだよ」かな。)

■更に更に読む前に

もうひとつ、このSF小説を最後まで読み切ることができたのは、以前にスタニスワフ・レム「虚数」『GOLEM ⅩⅣ』というSFを読んでいたからだと思います。(このブログの記事「知者は楽しむ - スタニスワフ・レム「虚数」http://tomonodokusho.cocolog-nifty.com/blog/2010/04/post-fc30.html」をご参照下さい。)はっきり言ってしまえば、「みずは無間」は「GOLEM ⅩⅣ」の続編として読むことも可能なのです。

「GOLEM ⅩⅣ」は、米軍の軍事参謀用超スーパーコンピュータが、人知を超えた知性を獲得してしまい、人間たちが気付かぬ間に星間物質と化し地球を旅立ってしまうという話です。

「進化する<知性>は発達すればするほど、隠蔽工作のためではなく必然的に、宇宙的背景から区別することが難しくなる」(スタニスワフ・レム「虚数」『GOLEM ⅩⅣ』)

じゃあ、その進化する<知性>はいったい何を考えるのか。六冬和生「みずは無間」はその問いにひとつの解答を示しているのです。

■星間物質になった知性体はどんな夢を見るか?

では、その星間物質になった知性体はどんな夢を見るか?六冬和生はあっけない解答を示してくれます。

むかしの彼女の夢。

そうか!と思わせるのは、米軍の軍事参謀用超スーパーコンピュータとは違い、「みずは無間」の「俺」はAI(人工知能)として昔の人間であった時の記憶を持っているからです。こうして何千光年にもわたる「おとこの後悔」が延々と続いていくわけです。

そして私に興味深いテーマと思えたのは、SF小説の形を借りて、しかもスタニスワフ・レムのハードSF設定を承継しつつも、この小説は「おとこにとっておんなは永遠の謎だ」というテーマが結末とも密接に絡み合い、ひとつの積極的なストーリーテリングの動因になっているということです。

そうとは明示されていないにせよ、第三部11章「邂逅」で「俺」が遭遇する「異種知性体」は「おんな」の隠喩ではないでしょうか。そうすると、地球から逃げてきたのも「おんな」から。ここでもやっぱり「おんな」から逃げているスペース・ランナウェイの物語としてこの小説は読むことができるのです。

おんなは謎だ、知りたい。でも怖い、自我が崩壊するのではないか。だからおんなからは逃げる。でも、知りたい...。

コンテストの選評者のひとり小島秀雄はそれを「女性からの逃亡劇」「究極のストーカー小説」と的確に指摘しています。宇宙規模で女性から逃げるなんて発想、どっから出てくるんでしょうね。その他にも、「複数の自我が並行存在した場合にどんな会話が起こるのか」など、興味深いテーマがハードSF設定で楽しめます。久しぶりに、上質なSFエンターテイメントを楽しめました。もう40歳を過ぎた作家のようですが、夏目漱石も40歳を過ぎて職業的作家となったのですから遅いことはありません。次回作が楽しみな作家のひとりになりそうです。

では。

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