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自由な憲法解釈と政治の不在―木村草太「憲法の創造力」

【今日の言葉】

実は、法の世界に入るためには秘密の入り口があるのです。知りませんでしたか?
(木庭顕「法学再入門:秘密の扉―民事法編」)

【読書日記】

こんにちは。ともです。
今日は、木村草太「憲法の創造力」を読んでみたいとおもいます。

■魅力

木村草太の魅力は、なんといっても、その「同時代性」にあるとおもいます。
自身の憲法講義をベースにした演習書「憲法の急所」では、ユーモアあふれる秀逸な設例で大いに楽しませてくれました。鮮やかに右左を逆転させ思考の深化を誘う「国家伴奏拒否事件」設例や、涼宮ハルヒに関する社会現象から着想を得た「妄想族追放条例事件」設例など、遊び心が満載です。また「キヨミズ准教授の法学入門」では、石黒正数のイラストととぼけた会話の妙などが、同時代感覚をふんだんに吸収したつくりになっており感心しました。

■「憲法の創造力」

その木村草太が「憲法学の入門書」を一般人向けにだしたのですから、面白くないわけがありません。また、入門書とうたうからには、いわゆる個別の論点についての見解のみではなく、ある程度、木村憲法学の全体像のようなものがみえてくるのではないか、という期待感もあります。では、その期待が当たったのか、はずれたのか、以下に木村草太「憲法の創造力」を読んで「共感できた」点と「違和感が残った」点を、順にみていきたいと思います。

■共感

最近、子どもの入学式に参加して、久しぶりに国歌斉唱の場面に出くわしました。
「憲法の急所」などの書物からの知識で、教育現場において激しい対立があることを知っていたため、やや身構えておりましたところ、あっさりと教員・生徒・父兄一同が起立して何事もないかのように終了してしまい拍子抜けしました。

そこで思ったのは、こんなあっさりと済む儀式に対して、裁判で争われたように極度の体調不良を惹き起こす教員もいるのだという驚きでした。というわけで改めて、憲法学者はどう整理をつけるのだろうと興味を覚えながら、木村草太「憲法の創造力」の第一章「君が代不起立問題の視点」を読みました。

そこでは、原告と最高裁のロジックを丁寧にわかりやすくなぞっていきつつ、右左の人たちの信念を手際よく要約したうえで、法的議論がそのような信念のレベルとは異なるものであることを、くっきりと浮かび上がらせています。

憲法ドグマティークの議論では、ここまでわかりやすい立体的な像を提示することはできないしょうし、敢えてしないのだと思われます。憲法学者の議論として一般人にもわかりやすい整理といえるのではないでしょうか。さらに、最高裁の判断を「肩すかし」「詭弁」と評価し、この問題を「パワハラ問題」としての法的議論に再構成しようとする姿勢には脱帽です。

■違和感

と個別の議論では感心する記述も多いのですが、違和感を持ったのが、「総論」部分の議論です。

序章の「国家と憲法の定義」にある「国家は、『権力』を作ることを目的とした団体である」に続く「権力」の定義として掲げられた「暴力を背景に、有無を言わさず人を従わせる力」である、という箇所です。

「木村草太の力戦憲法」というブログでは、「良書」として木庭顕「ローマ法案内」と「現代日本法へのカタバシス」が挙げられており、また「キヨミズ准教授の法学入門」でも「現代日本法へのカタバシス」が紹介されています。木庭教授の著書を推薦図書に挙げている割には、木村草太は、木庭教授の「急所」をつかんでいないのではないかという懸念を私は感じました。

「法の前提には政治があり、政治とは暴力や不透明な取引を排除し、言語による自由な議論のみが君臨することである」という木庭顕の基本テーゼからいうと「有無を言わせぬ物理的強制力」とは、「政治もなく法もない」状態、木庭顕のタームでいえば「無分節」状態のことを指すと思われます。これは乱暴に言い換えれば、社会契約論の「自然状態」、すなわち政治が成立する以前の状況、言ってしまえばアウトローの状況です。

憲法は「国家を成立させる『ルール』」であるという木村草太の憲法の定義に、先の権力の定義を代入すると、憲法とは「暴力を背景に、有無を言わさず人を従わせる力、をつくることを目的とした団体の成立ルール」ということになります。

■解釈

これでは「日本には西洋的な政治も法もなく、ただ憲法典という政府による暴力を正当化する(法という記号が一応付与されているが、本来の法とは異なる)東洋的ルールがあるのみである」と読めなくもないことになります。

木村草太の記述は、ちょっと古いけど徹底したリアリスト、もしくはホッブズ主義者による国家観の吐露としてスルーすることも可能でしょう。一般受けを狙ったわかりやすい説明に徹したと好意的に解釈できなくもありません。しかし、例えばこれから大学へ進学するべき中高生をも想定読者としている新書の入門書としては、いかにも不用意ではないでしょうか。まるでリアル北斗の拳であるかのような国家観を青少年に植え付けやしないか、と危惧します。

木村草太の本意がそんなところにあるのではなく、上のような解釈がただの私の誤読であればと祈りつつ、木村草太には、「各論」だけではなく、「総論」についても是非とも思索を深めていただき、高い学問的水準を背景にしたわかりやすい国家と憲法の関係を論じていただきたい、と思った読後感でした。

では。

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