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その後の世界―エヴァQとぼくたちの失敗

【今日の言葉】

そもそも、社会の基本的な枠組みに関わるということは、あれやこれやの権威・権力・関心・利害以前の、或いはその外の、それらすべてを制約する、事柄に関わるということを意味する。現実の厳しい対立状況に言葉一つを武器に割って入る、皆が一定方向に流れるときに枠組みをタテにとって敢えて嫌がられることを言う、そのかわりに沈む船から最後に脱出する類の責任感を持つ、というメンタリティーは社会の基本的枠組みに関わる者に固有のものである。
(木庭顕「法学部―批判的紹介の試み」)

【読書日記】

こんにちは。ともです。
今日はエヴァQを観ての覚書です。
ネタバレを含みますので、観てからお読みいただくことをお勧めします。

【以下、ネタバレあり】

■エヴァ破

まずは前作のおさらいです。

2009年7月6日のこのブログで、エヴァ破について書きました。
http://tomonodokusho.cocolog-nifty.com/blog/2009/07/post-e050.html

そのなかで、エヴァ破のテーマは「新しい政治」であろうと僕は読んでいます。
スピノザが「神学=政治論」で明らかにしているように、神と政治は等値可能です。
ミサトのセリフ「この世界が終る」を、「古い政治が終る」と読み替えたわけです。

その後、現実に日本では政権交代が起きました。
エヴァの前作は、日本社会の現実を扱っていたことになります。

そして、その動機を「かけがえのないひとりの女性を守ること」に求めています。
政権を獲った政党のスローガンが、モノから「人へ」と訴え、党首が「命を守りたい」と演説したのを多くの方は覚えているのではないでしょうか。ここで、エヴァと日本社会が妙なシンクロをしていたことをまずは思い出してみましょう。

■エヴァQ

そこで、今回のエヴァQです。

その展開についてはいろいろな議論があるようです。
物語内部のさまざまな符牒から、謎を精緻に読み解こうとしている人もいるようです。
単純に、物語にカタルシスが見られないことから、否定的に評価する向きもあるようです。

確かに、物語としてみると、カタルシスのない、その意味で「出来の悪い」話だということも可能です。

ここでは、前作について僕が読んだことの延長線で、エヴァQを観てみたいと思います。つまり、日本社会との「妙なシンクロ」です。

■ぼくたちの失敗

エヴァQを「日本社会の現実」を扱ったものという観点で見てみるとどうなるでしょうか。

「あれから」、その後、日本の社会は大きく変わってしまいました。
政権党は、その公約の主要な部分を、実現できませんでした。
より悪くなってしまった、という評価も、全否定することは困難です。

また「命を守りたい」という切実な主張とは裏腹に、3・11により多くの尊い命が失われました。そして、福島県沿岸の状況も、未だに本質的な解決策を見いだせてはいないようです。また、ここにきて日本社会に対する国際社会からの風あたりも厳しくなったようです。

さまざまな「インパクト」が日本の社会を襲ったと言い換えることもできるでしょう。

■そこからの景色

これは、エヴァQで、シンジがみた「その後の景色」と非常に似ています。

「そんなつもりはなかったんだ」

日本の社会には、シンジと同じような言い訳をしている人間が、見当たらないでしょうか。
政治、社会、経済、科学技術の分野において、リーダー、エリートとみなされる人間が、そのような言い訳をしている場面を、「あれから」何度も見てきたのではないでしょうか。

エヴァQをみて否定的な評価をしている人は当然です。
せっかく、肯定的な物語へと変化しようとしていたエヴァに期待をして見に行ったところ、逆に、見たくもない出来の悪い物語、すなわち「自分たちの現実」のようなものを突き付けられたのですから。

「助けてなかったんだ」

そう日本の社会、つまり僕たちは、世界を救っていなかったのでした。

■開かれた未来

こうしてみると、エヴァQの最後の場面は、きわめて象徴的です。
あてどもなく歩く3人の後ろ姿。
どこへいくのか、明確な行き場もなく、どちらを見ても荒れた大地。

それでも僕たちは歩いて行かなければいけない。
やり直し(redo)ができることを希望として。

と、あまりにもざっくり観てしまったので、正直、好きとか嫌いの問題よりも、「わかるなあ」というのが感想です。以前、宮崎駿が「庵野くんは、震災以降、どう描いていいのかとても悩んでいるようにみえる」とどこかのインタビューで語っていた通り、今作が、その答えだと思いました。

「その後の世界」

それでも僕たちは歩いて行かなければいけない。
やり直し(redo)ができることを希望として。

では。

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