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2011年12月

見つけたぞ。何を?-えすとえむ「このたびは」、ジャン=クレ・マルタン「フェルメールとスピノザ」

【今日の言葉】

Elle est retrouvée.
Quoi? - L'Éternité.
C'est la mer allée
Avec le soleil.
(Arthur Rimbaud―L'Eternité)

もう一度探し出したぞ。
何を?永遠を。
それは、太陽と番った
海だ。
(アルチュール・ランボー「永遠」)

【読書日記】

こんばんは。ともです。
今日は最近読んだ印象に残った本をご紹介します。

■えすとえむ「このたびは」

数年前に、ふと手にした大学時代の教科書の後ろ扉に、ランボーの詩「永遠」が書き写してあるのを見つけて、嗚呼あのときはゴダール「気違いピエロ」を観てかぶれていたなあと懐かしいような、こっ恥ずかしいような気持ちになりました。おそらく期末試験の気休め、というよりも現実逃避にランボーの詩などを書き写していたに違いありません。その既視感をマンガで味わうことになろうとは思ってもみませんでした。

えすとえむの「このたびは」を手に取ったのは、当然、話題の「うどんの女」がよかったからです。この短編集はどれもいい話ですが、第三話「K」でランボーの詩の不意打ちをくらいます。死と詩。永遠と愛。若かりし日のランボーを読む男。夢の中の出会い。どれも、ぐっと心を鷲掴みです。「気違いピエロ」を髣髴とさせる海の場面。主人公ユミの名前は「優海」。優海がつぶやく「・・・・・・そんな・・・」は、「気違いピエロ」の主人公が、裏切り者のヒロインをピストルで撃った後、海岸に出て、自分の首に爆弾を巻きつけて火をつける、「こんなバカな死に方が・・・」というセリフと重なる場面です。すごい才能の作家ですね。

■ジャン=クレ・マルタン「フェルメールとスピノザ <永遠>の公式」

えすとえむの「このたびは」を読むすこし前から読み始めたのが、ジャン=クレ・マルタン「フェルメールとスピノザ <永遠>の公式」。フェルメールとスピノザがすれ違う17世紀オランダをスリリングに描き出す哲学的=絵画的エッセイです。

なぜ、フェルメールの描く女性は、永遠のまなざしを持ってわれわれを見つめるのか。
なぜ、フェルメールはいつも光るが差し込む部屋を描くのか。
なぜ、スピノザの永遠は、われわれに生きる力を与えるのか。

もしかしたら、この本を読んだ人には、その答えが見つかるかもしれません。

では。

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「『ローマ法案内』補遺」補遺

【今日の言葉】

めぐりあひて 見しやそれとも わかぬ間に
雲がくれにし 夜半の月かな
(紫式部)

【読書日記】

こんにちは。ともです。

「文學界」最新号に掲載されている朝吹真理子のエッセイがすばらしくて、タイムラインに沿って、眼にふれたもの、耳にきこえるもの、感じたことを淡々と描いているだけなのに、読み終えたときに、「ふわっ」と、思考の全体像が浮かび上がるこういう文章を「真似してみたい!」と思ったのですが、僕にはそんな文才はないので、今日は、引用のみで読書日記です。

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民主主義と悲劇は、ペリクレスとソポクレスのもと、アテネで結婚した
(ジャン・リュック・ゴダール「ゴダール・ソシアリスム」)

秒とは「セシウム133の原子の基底状態の二つの超微細準位の間の遷移に対応する放射の周期の91億9263万1770倍の継続時間である」
(朝吹真理子「Happy New Ears」)

いま現在、世界で最も精確とされ、世界標準時刻を刻むのに用いられているのは、セシウム原子時計。ところがこれは数千万年に1秒くらい狂う
(立花隆「四次元時計」)

原子炉が原子核分裂の過程において高エネルギーを放出する核燃料物質を燃料として使用する装置であり、その稼動により内部に多量の人体に有害な放射性物質を発生させるものであって、原子炉を設置しようとする者が原子炉の設置、運転につき所定の技術的能力を欠くとき、又は原子炉施設の安全性が確保されないときは、当該原子炉施設の従業員やその周辺住民等の生命、身体に重大な危害を及ぼし、周辺の環境を放射能によって汚染するなど、深刻な災害を引き起こすおそれがある
(最高裁判所判決 平成4年10月29日民集46巻7号1174頁)

葦原の 瑞穂の国は 神ながら 
言挙げせぬ国 しかれども 言挙げぞ我がする 
言幸く ま幸くいませと 障みなく 
幸くいまさば 荒磯波 ありても見むと 百重波 
千重波にしき 言挙げす我は 言挙げす我は
(万葉集 巻第十三 相聞)

お金は公共財産だ
(ゴダール・ソシアリスム)

マリス スタンフォードでは正確には何を学んでいたのですか?
レベッカ セミナーの指導です。信用創造と文学の創造について。
(ゴダール・ソシアリスム)

プレコミットメントは、自分の理性に限界のあることを承知している人間(団体)が、非理性的な行いをしないよう、予め自分の行動に枠をはめておくという工夫です。サイレンの歌声に魅惑されないよう自分の身体を船のマストに縛り上げさせて航海を続けたオデュッセウスの例がよく引かれます。政府が自分で通貨の発行量を操作できるようにすると、景気浮揚を目指して通貨発行量を増やし、インフレを招いてしまう危険があるので、金融政策については独立した中央銀行に権限を委ねることにするというのも、(中略)プレコミットメントの一つとして説明することができます
(長谷部恭男「憲法入門」)

ともかく、ナポリはいいとして、アルジェからバルセロナへの航路で、アレクサンドリア、ハイファ、オデッサに寄るの?(ゴダール・ソシアリスム)

子供は国民の一部。意思を持つのは大人と同じ
(ゴダール・ソシアリスム)

もしナシオン(nation)の意味を「国籍保持者の総体としての国民(全国民)」、プープル(peuple)の意味を「社会契約参加者(普通選挙権者)の総体としての国民(人民)」と解すれば、二つの主権原理(ナシオン主義とプープル主義)は、本文に説いた主権主体としての「全国民」と「有権者団」の区別に対応する
(芦部信喜「憲法」)

問題は、憲法上の権利が保障されるのは、自分の意思を自分で決められる個人だけかというものです。未成年の子どもは、こうした能力を充分には持っていないと考えられています
(長谷部恭男「憲法入門」)

法が正しくないときには、正義が法に優る
(ゴダール・ソシアリスム)

たしかに、第二次世界大戦時におけるファシズムの苦い経験を経て、戦後、抵抗権思想が復活し、それを再び人権宣言の中に規定する憲法も現れるようになったが、それは本来の抵抗権をすべてカバーするものではない。抵抗権の本質は、それが非合法的であるところにあり、制度化にはなじまないと解される
(芦部信喜「憲法」)

民主主義と悲劇は、ペリクレスとソポクレスのもと、アテネで結婚した
(ゴダール・ソシアリスム)

アンティゴネ 妹イスメーネー、オイディプスの一族から出た双子の子孫よ
(ゴダール・ソシアリスム)

ゴダール ソポクレスがいなければペリクレスもいなかった
(ジャン=リュック・ゴダール インタビュー)

少なくとも6世紀末にはAthenaiにおいて悲劇は厳密な意味における政治制度の一翼として確立される。(中略)もちろん上演自体が完璧に公共的な性質の事柄である。それは等しく皆の事柄である。したがって完全に共和制財政原理に則って実現される。公共的な性質を一層際立たせるのは必ずコンクールの形式において上演されるということである。複数のパラディクマ再実現化が公開で競うagonという形態は多元性と対抗的要素、およびその年に一つという一義性(皆のもの)、の両方を保障する
(木庭顕「デモクラシーの古典的基礎」)

Sophoklesは442年の”Antigone”においてデモクラシーを根本から支える屈折体に完成された形態を与えるに至る。(中略)専制と自由、政治的決定と神々の正義、実定法と自然法、ポリスと家・親族、といった図式によって簡単に作品を説明できるという錯覚を与えるに十分である
(木庭顕「デモクラシーの古典的基礎」)

君のその解釈は余り見込みがない。何故ならば、君はその先の部分を引き忘れてはいないか。corpus を持ちうるとしても、「まさに政治システムの範型にならってその限りで共同のものを持ちうるにとどまる」(proprium est exemplm rei publicae habere res communes)、とあるのを君は忘れたか。そう、組合自体「政治システムの範型」(exemplm rei publicae)に従っているではないか。corpusを与えるならば、それはもっと危険なことであるから、それを中和するためには「政治システムの範型」はもっと厳密に適用されなければならないだろう。構成員が自由に討議して「手足」を動かしコントロールするのでなければならないだろう。そのことを保障するための様々な機関が置かれなければならないだろう。さて、彼等の組合において「政治システムの範型」は厳密に適用されているだろうか。
(木庭顕「現代日本法へのカタバシス」11『請負・法人』)

企業統治にも、民主主義のシステムと同じように、チェック&バランスの機能が不可欠だ
(マイケル・ウッドフォード「オリンパス外国人元社長の告白」)

これが一面で日本の近代化に固有の「突貫工事」の苦しさである
(木庭顕「夏目漱石『それから』が投げかけ続ける問題」)

では。

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