« 永遠のローマへ-ヤマザキマリ「テルマエ・ロマエ」、木庭顕「ローマ法案内」 | トップページ | 世界の驚愕すべき尋常ならざる美しさ―くらもちふさこ「駅から5分」「花に染む」 »

すべてが夢の中のよう-幸田文「きもの」

【今日の言葉】

地面が揺さぶられたということは、暮らしも揺れたし、身も心もたわいなく動いちまうってことなんだよ。
(幸田文「きもの」)

【読書日記】

こんにちは。ともです。
今般の東日本大震災で被害にあわれましたみなさまにお見舞いを申し上げます。
また現在も避難等困難に直面している方々の一刻も早い普通の生活への回復をお祈り申し上げます。

私は東京の職場で揺れにあいましたが幸いなことに自宅の家族共々無事でした。東北の実家も数日電気が止まったようですが大きな被害はなかったようです。東京を中心に徐々に物流も回復して日常生活は普段に近くもどっているようですが、いまだ経済活動への影響も推し量れない不透明な状況にあります。福島県沿岸の状況にも心を痛めます。

最近ふと、関東大震災を描いた小説があったことをおもいだし幸田文「きもの」を読み返してみました。被災したひとびとが当時どのように行動したのか、その後どのような想いを抱いてすごしたのかに想いを寄せてみようと思ったからです。

■幸田文「きもの」

幸田文の「きもの」は、主人公「るつ子」の少女時代から青春期の成長を、震災を挟んで描いている私小説的な長編です。三人称で書かれていますが、視点は主人公の背後に固定カメラのように置かれ、幸田露伴ゆずりの文学的素養を感じさせる簡潔な文体が独特の世界観を形成しています。

■和服の社会

まず読んで大きく驚くのは、震災前のひとびとは「きもの」を着ていたのだということ。
当然といえば当然なのですが、歴史の教科書を読んでいるだけでは気づきにくい点です。

幸田文は、ひとびとが昔、自分で着るものは手縫いで作っていたこと、贈り物として反物がつかわれていたことなどを通じ、和服にこめた想いを軸に物語を展開していきます。

被災後に避難した上野公園で父と再会した場面では、社長からもらった「洋服」を着ている父に対して微妙な感情を抱く娘の気持ちが描かれていますが、この場面は、当時東京勤めのひとであっても通常着物を着ていたということ、震災が、着物文化と洋服文化の転換点になったであろうことを示唆しており、非常に興味深い場面です。いま日本のどこに、父のスーツ姿、しかもカジュアルにネクタイをはずした着こなしに「気恥ずかしさ」を感じる娘などがいるというのでしょうか。

幸田文の作品には「流れる」とか「崩れる」とか、ものごとの移り変わりを示すタイトルがよく使われています。「きもの」も、そのような移り変わりをあらわす一つの象徴なのかもしれません。
関東大震災が1923(大正12)年。約一世紀の時間の隔たりが、日本の社会をこんなにも変えているのだということに気づかされるのです。

■夢の中の明瞭

幸田文「きもの」には地震のまさに揺れる瞬間が描かれています。そこには
「すべて夢の中のようで、しかも割りにはっきり見聞きした。」
と書かれています。そして被災から上野公園への避難、当面の落ち着き先が見つかるまでの一連の場面が、まるで手に取るように鮮やかに描かれています。

私も個人的に自分が体験した状況、その後の報道で映し出される痛ましい被害の映像についてある種、夢のようだと思いながら、明瞭に覚えています。特に余震も収まっていない中、駅の床に座り眠る大勢のひとびと、テレビに釘付けになって立ち尽くすひとびとが目に焼きついています。

「きもの」が雑誌「新潮」で連載開始されたのが1965(昭和40)年。
おそよ被災から半世紀近くを経ても、なお幸田文の記憶の中で鮮明な「その日」の姿が保たれていたことがわかります。60歳を超えてあれほどまでに少女時代の新鮮な気持ちを鮮明に描くことができた理由は、恵まれた文才だけではなく、そういうところにもあったのかもしれません。

■揺れるひとの想い

冒頭の引用文のように「地面が揺さぶられたということは、暮らしも揺れたし、身も心もたわいなく動いちまう」ことをわたしたちもまさに今経験しているのですが、これからの日本社会もその中に生きるわたしたちも、さらに大きく「動いちまう」ことになるのでしょう。「きもの」の中で主人公「るつ子」の心も動いていくことになります。

「恋は急撃してきた」

これほどまでに簡潔に美しくあっけらかんと女子が恋に落ちる表現を、私は寡聞にして他に知りません。ひとは「その日」の後も食べるし話すし恋もし悩むのです。その変わらぬ営みの中で徐々にひとびとの意識が変わっていきます。われわれも、このあっけらかんとした前向きさをもって「動いちまう」ことを見習うべきなのでしょうか。日本の社会にかわるものとかわらずに底流で流れているものの二つがあるとすれば、幸田文はその簡潔な文章でその二つをじっと指し示しているのかもしれません。

では。

|

« 永遠のローマへ-ヤマザキマリ「テルマエ・ロマエ」、木庭顕「ローマ法案内」 | トップページ | 世界の驚愕すべき尋常ならざる美しさ―くらもちふさこ「駅から5分」「花に染む」 »

文化・芸術」カテゴリの記事

書籍・雑誌」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/526219/51287888

この記事へのトラックバック一覧です: すべてが夢の中のよう-幸田文「きもの」:

« 永遠のローマへ-ヤマザキマリ「テルマエ・ロマエ」、木庭顕「ローマ法案内」 | トップページ | 世界の驚愕すべき尋常ならざる美しさ―くらもちふさこ「駅から5分」「花に染む」 »