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2011年4月

世界の驚愕すべき尋常ならざる美しさ―くらもちふさこ「駅から5分」「花に染む」

【今日の言葉】

「そして、その日こそ私たち誰の目にもはっきり、この世界の驚愕すべき尋常ならざる美しさが見てとれることだろう......」(ヘンリー・ミラー)。
(ジル・ドゥルーズ「スピノザ」)

【読書日記】

こんにちは。ともです。
今日の読書は、くらもちふさこの「駅から5分」「花に染む」です。

■くらもちふさこ「駅から5分」

そのむかし、くらもちふさこ「駅から5分」を書店の店頭で見かけたとき、平積みの量から売れてるようだとは薄々気づいたものの、表紙の絵柄が「いかにも」少女マンガらしくて「読まず嫌い」な本でした。(ケータイ小説原作のマンガかと間違えてました。)その後、よく行く大きな書店で「このマンガがすごい!2009」の特設コーナーが開設されており、この本が女性作家2位であることを知りました。しかも本が「売り切れ」だったのが妙に気になり、わざわざ近所の本屋で見つけて買いました。

で、読み始めても、普段読まないマンガの絵柄なのでどうも慣れなくて、しかも誰が主人公なのか全然良く分からなくて、「なんだかなあ」と思って、エピソードをひとつ、ふたつと読み進めていくうちに気づきました。

これは、絵柄に反して凄い前衛的です。

とにかく、時間感覚が不明になる位、フラッシュバックが多くてクラクラします。
絵は余白の使い方がとてもうまいです。さすが美大の日本画科。

■くらもちふさこの「花に染む」

そのくらもちふさこが「駅から5分」をいったん休載して、現在執筆中なのが「花に染む」です。
実は中心人物である男性が「駅から5分」と「花に染む」では一緒です。

なぜわざわざ「違う題名」で同一の登場人物を描き、同一の架空の町「花染町」を舞台にするのか、不思議に思いました。もしかしたらパラレルワールドでも描いて、さらに前衛性に磨きをかけるつもりなのか、とも邪推してみたのですが、どうも違うようです。

その謎が解けたのは、「駅から5分」のある女性キャラクターが「花に染む」にでてきた場面。
「花に染む」では中心人物の男性の幼馴染である「地味な女性」が語り手(主人公)となっています。彼女の物語が語られていく中、出会うはずがないように思われた「駅から5分」の「派手な」ある女性キャラクターと「花に染む」の「地味な」主人公が遭遇するのです。

ここで作者の意図が判然とします。
「駅から5分」はある「一つの時点」での「花染町」のさまざまなひとたちを描くことで、共時的なひとびとのつながりを描いていました。それがフラッシュバックが多くてクラクラするように感じた理由でした。一方「花に染む」は花染町とは別の場所の「過去」から、「駅から5分」の世界における「現在」に至る「タイムライン」に沿ってひとびとのつながりを通時的に描いていたのです。

「駅から5分」と「花に染む」という題名は、それぞれ「共時性」synchronicityと「通時性」diachronicityを表す象徴だったのです。別の物語として語る必然性があったことになります。

■世界の驚愕すべき尋常ならざる美しさ

では何故「駅から5分」と「花に染む」はこのような複雑な語りの構造をもっているのでしょうか。
このような語りの構造を通じてしか表現できないと作者が考えた何かがあると思われます。
私には、作者は「この世界」すなわち「現代」をリアルに描こうとしているように思われます。

風俗としての現代であれば、それこそ至る所にケータイ小説などの貧しい文学的現実があり、なにも、くらもちふさこがわざわざ語りの構造を駆使して描く必要はありません。

東日本大震災の後、見えてきた「現代」のリアルとは、日本で地震が起きれば、アメリカやヨーロッパでモノが作れなくなるという共時性。そして科学的な知見に関して、これまで別々の場所で別々に行われてきたことや出会うことのないように思われた人や知恵が遭遇しているという通時性であるように思われます。それをこれまでわれわれはグローバリゼーションなどと呼んできたのかもしれませんが、これほどまでにリアルなものとは捉えてはいなかったのではないでしょうか。

ドゥルーズがヘンリー・ミラーを引用していう「この世界の驚愕すべき尋常ならざる美しさ」。
「美しさ」というのが不適切であれば、「精密なつながり」とでも言い換えるべきもの。

くらもちふさこの「花に染む」はちょうど「駅から5分」の「現在」に追いついたところで震災後出版されました。「花に染む」と「駅から5分」の世界が交わった今、どのような展開になるのか注目されます。いまだ書かれざる物語。いま、まさに書かれようとしている物語。それはあまりにも「現代」と酷似しているように思われます。

では。

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すべてが夢の中のよう-幸田文「きもの」

【今日の言葉】

地面が揺さぶられたということは、暮らしも揺れたし、身も心もたわいなく動いちまうってことなんだよ。
(幸田文「きもの」)

【読書日記】

こんにちは。ともです。
今般の東日本大震災で被害にあわれましたみなさまにお見舞いを申し上げます。
また現在も避難等困難に直面している方々の一刻も早い普通の生活への回復をお祈り申し上げます。

私は東京の職場で揺れにあいましたが幸いなことに自宅の家族共々無事でした。東北の実家も数日電気が止まったようですが大きな被害はなかったようです。東京を中心に徐々に物流も回復して日常生活は普段に近くもどっているようですが、いまだ経済活動への影響も推し量れない不透明な状況にあります。福島県沿岸の状況にも心を痛めます。

最近ふと、関東大震災を描いた小説があったことをおもいだし幸田文「きもの」を読み返してみました。被災したひとびとが当時どのように行動したのか、その後どのような想いを抱いてすごしたのかに想いを寄せてみようと思ったからです。

■幸田文「きもの」

幸田文の「きもの」は、主人公「るつ子」の少女時代から青春期の成長を、震災を挟んで描いている私小説的な長編です。三人称で書かれていますが、視点は主人公の背後に固定カメラのように置かれ、幸田露伴ゆずりの文学的素養を感じさせる簡潔な文体が独特の世界観を形成しています。

■和服の社会

まず読んで大きく驚くのは、震災前のひとびとは「きもの」を着ていたのだということ。
当然といえば当然なのですが、歴史の教科書を読んでいるだけでは気づきにくい点です。

幸田文は、ひとびとが昔、自分で着るものは手縫いで作っていたこと、贈り物として反物がつかわれていたことなどを通じ、和服にこめた想いを軸に物語を展開していきます。

被災後に避難した上野公園で父と再会した場面では、社長からもらった「洋服」を着ている父に対して微妙な感情を抱く娘の気持ちが描かれていますが、この場面は、当時東京勤めのひとであっても通常着物を着ていたということ、震災が、着物文化と洋服文化の転換点になったであろうことを示唆しており、非常に興味深い場面です。いま日本のどこに、父のスーツ姿、しかもカジュアルにネクタイをはずした着こなしに「気恥ずかしさ」を感じる娘などがいるというのでしょうか。

幸田文の作品には「流れる」とか「崩れる」とか、ものごとの移り変わりを示すタイトルがよく使われています。「きもの」も、そのような移り変わりをあらわす一つの象徴なのかもしれません。
関東大震災が1923(大正12)年。約一世紀の時間の隔たりが、日本の社会をこんなにも変えているのだということに気づかされるのです。

■夢の中の明瞭

幸田文「きもの」には地震のまさに揺れる瞬間が描かれています。そこには
「すべて夢の中のようで、しかも割りにはっきり見聞きした。」
と書かれています。そして被災から上野公園への避難、当面の落ち着き先が見つかるまでの一連の場面が、まるで手に取るように鮮やかに描かれています。

私も個人的に自分が体験した状況、その後の報道で映し出される痛ましい被害の映像についてある種、夢のようだと思いながら、明瞭に覚えています。特に余震も収まっていない中、駅の床に座り眠る大勢のひとびと、テレビに釘付けになって立ち尽くすひとびとが目に焼きついています。

「きもの」が雑誌「新潮」で連載開始されたのが1965(昭和40)年。
おそよ被災から半世紀近くを経ても、なお幸田文の記憶の中で鮮明な「その日」の姿が保たれていたことがわかります。60歳を超えてあれほどまでに少女時代の新鮮な気持ちを鮮明に描くことができた理由は、恵まれた文才だけではなく、そういうところにもあったのかもしれません。

■揺れるひとの想い

冒頭の引用文のように「地面が揺さぶられたということは、暮らしも揺れたし、身も心もたわいなく動いちまう」ことをわたしたちもまさに今経験しているのですが、これからの日本社会もその中に生きるわたしたちも、さらに大きく「動いちまう」ことになるのでしょう。「きもの」の中で主人公「るつ子」の心も動いていくことになります。

「恋は急撃してきた」

これほどまでに簡潔に美しくあっけらかんと女子が恋に落ちる表現を、私は寡聞にして他に知りません。ひとは「その日」の後も食べるし話すし恋もし悩むのです。その変わらぬ営みの中で徐々にひとびとの意識が変わっていきます。われわれも、このあっけらかんとした前向きさをもって「動いちまう」ことを見習うべきなのでしょうか。日本の社会にかわるものとかわらずに底流で流れているものの二つがあるとすれば、幸田文はその簡潔な文章でその二つをじっと指し示しているのかもしれません。

では。

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