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2010年11月

当て馬でも引き立て役でもないの - 青木幸子「王狩」、「茶柱倶楽部」

【今日の言葉】

いいえぇ
パパは将棋指しません
情報処理の技術研究をしていて
そのお仕事だけでも忙しいのに
コンピュータ将棋のシステムを組むのに夢中なんです
(青木幸子「王狩」)

【読書日記】

こんにちは。ともです。

少し前の休日。面白いイベントがあるというので妻にたたき起こされ、息子と一家三人で東大本郷キャンパスへ行きました。そこでおこなわれたのは「コンピュータ将棋と女流王将の対決」。

すでにいろいろなメディアで伝わっているので、ご存知の方も多いかもしれませんが、結果は「コンピュータの勝ち」。対局後の会見の場では、負けても気丈な清水市代女流棋士にたいし、米長邦雄将棋連盟会長がまるで「娘の結婚式のパパ」のようにに動揺していたのが印象的でした。対局前の挨拶では「今日は東大の銀杏(いちょう)がきれいで、市代(いちよ)を応援しているようだ」と笑いを取る余裕を見せていたのですが。

というわけで、まずは将棋マンガの紹介からです。

■青木幸子「王狩」

このマンガの主人公は久世杏、12歳。6歳のときのある出来事をきっかけに、将棋の面白さに目覚めます。キャラクター設定が秀逸で、彼女は2歳以降の記憶をすべて「画像」として再現ができる特別な才能をもっています。棋譜を当然、すべて記憶しているというわけで、棋譜の学習能力を備えることによって格段の進歩を遂げた最近のコンピュータ将棋に匹敵する能力を持っていることが示唆されています。

彼女のライバルが通称マリノンという同い年の女の子。普段は天然キャラを装いつつ、将棋のこととなると手段を問わないヒール役としては申し分ない性格です。冒頭の引用文のとおり、パパがコンピュータ将棋のプログラマーという情報処理学会の面々が読んだら泣いて喜ぶような設定になっています。そういえばコンピュータ将棋の応援に来ていた女流棋士にも「えっ、こんな娘が将棋のプロなの」というギャルがいたなあ。きっと性格悪いんだろうけど。

ヒロインがコンピュータ将棋と対決する場面はまだ出てこないのですが、これだけ同時代の空気を吸った設定になっているのですから、いつか対局の場面も出てくるのではないでしょうか。すでに1巻でも十分堪能しましたが今後の展開も楽しみです。

絵の構図も十分練られていて、何度か読み返すと周到な作者の意図が見えてきます。たとえば、1巻8ページ目の左下最終コマ。大雨の場面で、空を見上げたヒロインの大きな瞳が印象的なのですが、そのコマだけ雨が「つぶ」で丸く描かれています。一瞬の記憶を切り取った「画像」を提示することで、これから描かれる彼女の天才を暗示するものになっています。

■青木幸子「茶柱倶楽部」

同時に青木幸子の新刊「茶柱倶楽部」が発売されていて、連動企画で本屋では並べて売っていました。こちらは、日本茶をこよなく愛する御茶屋の娘の話です。

宝くじを当てたヒロインは、移動式のお茶「屋台」のトラックをつくって旅に出ます。
そこで出会った人々とお茶を通じてふれあいながら、お互いに成長していく、といった要約でしょうか。紅茶にはいろいろな種類があって楽しみ方もいろいろあるのは知っていたのですが、日本茶も奥が深いのだなあと感心させられます。

■当て馬でも引き立て役でもないの

この2つのマンガにはそれぞれ「仮想敵」があるように思われます。

一つは、将棋マンガの代表として現在連載中であるにもかかわらず既に不動の地位を確立したかにみえる羽海野チカ「3月のライオン」。もう一つは、女性ソムリエの活躍を描いたワインマンガの人気作「ソムリエール」。「3月のライオン」と「王狩」は未成年の棋士の戦いを描き、「ソムリエール」と「茶柱倶楽部」はヒロインのワインと日本茶への限りない愛情を描く点で非常に似ているなあと思うのです。

しかしこれらの既刊の2作と青木幸子の新刊2作には、決定的な違いがあります。
「王狩」では、並外れた記憶力を持つ「破格」のヒロインを提示することで、奨励会という「非日常」へ読者をいざなう周到なプロットが用意されています。「茶柱倶楽部」ではいきなり「宝くじを当てる」という「破格」の幸運の女神を提示することで、日本茶の屋台という「非現実」的な設定へ読者を誘う装置が用意されているのです。

「3月のライオン」や「ソムリエール」が職業として非日常を日常に扱っている「天才(非日常)の日常」を描いているのに対して、青木幸子は、いきなり「破格」の主人公を用意することで、非日常をいきなり超越した「非現実」的なキャラクターを「日常」に放り込んだらどうなるのかを描いています。いわば、「日常の中の天才(非日常)」を描いているとでも対比したらよいでしょうか。その結果、表面的に非日常である点で双方が似ているように見えなくもないのですが、「破格」のキャラクター自体はまったく似ていません。これは周到に用意されたキャラクターとして、ドゥルーズが「概念的人物」と呼ぶ哲学概念の構成要素に近い働きを物語の中で果たしているのです。
これを僕たちは「ファンタジー」と呼ぶことができるのではないでしょうか。

「王狩」の中で敵役であるマリノンがつぶやいた言葉、

「私は当て馬でも引き立て役でもないの」

は実は作者・青木幸子のつぶやきなのかもしれません。

では。

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