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2009年4月

ローマ法、その可能性の中心

【今日の言葉】

それにどんな意味があるのかと問う以前にとりあえず一つの遊戯を始めてみると、これが結構楽しくてやめられなくなってしまったので、途中まででもかまわない、軽い気持ちでつきあっていただきたい。

(蓮實重彦「絶対文芸批評宣言」)

【読書日記】

こんばんは。ともです。

今日は、サヴィニー以来のローマ法学を全面的に批判した(ということは、日本の実定法学者はほぼ全滅すると思われる)、木庭顕「法存立の歴史的基盤」について、あるゲームをしてみたいと思います。

     われわれの方法

ここでは蓮實重彦が「絶対文芸時評宣言」の中の一節、「遊戯の教訓」で提案したゲームのルールを使ってみたいと思います。

ルールは簡単です。本の値段をページ数で割って「1ページの単価」出すだけです。

蓮實重彦が現代作家に適用した結果は、純文学系の作家が7円台、島田雅彦や高橋源一郎が概ね4円台という文芸書内に単価格差がみられたというものでした。

     木庭顕「法存立の歴史的基盤」

木庭顕「法存立の歴史的基盤」は本体28,000円、1,392ページです。単価を出してみるとなんと20.1円。純文学系の作家を凌駕する金額です。この10年近くはデフレ経済だったことを考えると、過去の著書との時系列比較で異常値か否かがわかるはずです。

その結果は、「政治の成立」が22.7円、「デモクラシーの古典的基礎」が23.1円であったことから異常値ではなく、むしろ安くなっていることが判明しました。

     内田貴「民法1~4」

では、法律書が文芸書と比べてそれほど高いものなのか、代表的な民法教科書の内田貴「民法1~4」と比較してみましょう。

結果は「1」6.0円、「2」5.7円、「3」5.8円、「4」6.0円とほぼ6円でした。これは純文学と島田=高橋の中間をいっています。どうやら法律書だから高いというわけではないようです。

     他の法律教科書は?

民法以外の代表的な教科書も見てみましょう。

前田雅英「刑法総論講義」6.4

藤田広美「講義民事訴訟」7.1

と民法よりは若干高めですが、文芸書の上限内といったところでしょうか。

     研究書では?

では、教科書以外の研究書だからでしょうか。比較的に分野が近く刊行時期も近いものと比較してみましょう。

福岡安都子「国家・教会・自由 スピノザとホッブズの旧約テクスト解釈を巡る対抗」15.8円と近くなってきましたが、まだ4円~5円の差があります。桑原朝子「平安朝の漢詩と『法』文人貴族の貴族制構想の成立と挫折」16.5円や六本佳平,吉田勇編「末弘厳太郎と日本の法社会学」16.6円が善戦しますが依然差をつけられています。長谷部恭男「憲法の理性」では14.5円と差が拡大してしまいました。

     遊戯の教訓

以上の簡単なゲームの結果、法学書には「教科書」と「研究書」との間に「量の差異」が存在することがわかりました。

そこで蓮實重彦の遊戯の教訓を思い出しましょう。島田=高橋(=蓮實)の4円台作家は、その数値に安住せず7円台を目指すべきだ、というものでした。

文学の結論がそのまま法学にあてはまるかどうか心許無いのですが、結論を借りれば、7円台の法学者は16円台の法学者を目指すべきだ、ということになるのでしょうか。では、究極的には20円台の法学者が目指されるべきなのでしょうか。

文学と法学は違います。

でも「法存立の歴史的基盤」 では、実は文学や哲学、歴史学と政治=法学の連帯が説かれていなかったでしょうか。

では。

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上野の森の「ふたつの阿修羅像」

【今日の言葉】

誰でも現実の初恋をする前に、物語の中に「初めてのひと」がいるじゃないですか。僕にとってはそれが、「百億の昼と千億の夜」の阿修羅王だった。

(押井守「光瀬龍を語る」)

【読書日記】

こんばんは。ともです。

上野の東京国立博物館で「国宝 阿修羅展」を見てきました。

暗い中でスポットライトを浴びた阿修羅像は何かホログラム映像のようで幻想的でした。

で、今日は、1年位前に上野の森の「もう一つの阿修羅像」に出会った話。

     竹宮恵子「アンドロメダ・ストーリーズ」

以前「地球(テラ)へ...」が新作アニメ化された恩恵で、SF作家の光瀬龍原作の竹宮恵子「アンドロメダ・ストーリーズ」も新装版になって出版されました。竹宮恵子自身が書いた「あとがき」には、光瀬龍に対する思い入れが次のように書かれています。

「キャラクターの中でも気に入っているのは性格も含めて、イル。光瀬先生の作品『百億の昼と千億の夜』に登場する“阿修羅”が描きたくてあの形になりました」

とのことです。では、竹宮恵子がそこまでして描きたかった“阿修羅”がどのように原作に描かれているか光瀬龍から引用してみましょう。

     光瀬龍「百億の昼と千億の夜」からの引用

「悉達多太子か」

はためく極光を背景に一人の少女が立っていた。

「阿修羅王か」

少女は濃い小麦色の肌に、やや紫色をおびた褐色の髪を、頭のいただきに束ね、小さな髪飾りでほつれ毛をおさえていた。

「そうだ」

少年と呼んだほうがむしろふさわしい引きしまった精悍な肉づきと、それに似つかわしい澄んだ、黒いややきついまなざしが、太子の心をとらえた。

     萩尾望都「百億の昼と千億の夜」

実は、竹宮恵子が阿修羅王をイメージしてキャラクターを描いたよりずっと以前に、既に萩尾望都が「百億の昼と千億の夜」をマンガ化しています。ということは、竹宮恵子は「萩尾望都の阿修羅王に物足りなさを感じた」と宣戦布告しているようなものです。まるで「光瀬先生のイメージはわたしの方よ」とでも言っているみたいです。

で、どっちが「僕の」イメージに合うか萩尾望都のマンガを読んでみましたが結論は「どっちもどっち」でした。ただ、ふたりとも興福寺の阿修羅像を意識していたことは絵柄から見てとれました。

     国立科学博物館「大ロボット博」

あるときうちの子供が見たいというので上野の国立科学博物館へ「大ロボット博」を観にいきました。本当は、そのとき隣の西洋美術館でやってた展示も見たかったのですが、子供は許してくれませんでした。

で、会場に入るとすぐに大きな展示物が眼に入りました。

「何のオブジェなんだろう」としばらく眺めていると、天井から吊ったモニターでそのオブジェの動いている映像が流れてきました。最後まで見ているとエンドクレジットに「押井守」と出てきて、僕は「あっ!」とすべてを理解しました。

三面六臂(三つの顔と六本の腕)の姿で、異形の家来を従えたその人形は、明らかに「阿修羅王」そのものです。愛・地球博に「汎(パン)」として出展されたようですので、ご覧になっている人がいるかもしれません。

で、後から調べてみると、やっぱり押井守は高校時代に光瀬龍と親交があり、いつか「百億の昼と千億の夜」を映画化したいなどと語っているではないですか!挙句の果てには、「阿修羅王が初恋の人だ」と!

愛・地球博では展示意図を「地球環境の云々」とかもっともらしく語っていますが、何とあれは、押井守が初恋を成就させた夢。百歩譲っても、「百億の昼と千億の夜」の阿修羅王登場場面を映像化したものにすぎません。愛・地球博の後、国立科学博物館が購入したようです。どうせなら、今、連動企画で国立科学博物館も「押井守 阿修羅展」をやっちゃえばいいのに。

では。

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