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2008年11月

「日本語が亡びるとき」は水村美苗の続「三四郎」である

【今日の言葉】

旧リーマン日本法人の六本木オフィスから交代で外国人社員たちが席につく。ヘッジファンドなどを顧客とする営業チームで、野村の既存社員と二人三脚で売買注文を取り次ぐ。顧客の相談に答える声。発注内容の確認。二つの公用語である英語と日本語が、ごちゃまぜに飛び交う。

(『日本経済新聞』20081123日朝刊)

【読書日記】

こんばんは。ともです。

最近なにが苦痛かと言えば、仕事で英語を使わなければならないことです。

これまでは英語の書類が来ても、読んで日本語でコメントをすればよかったのですが、誰が考えたのか海外システムが出来上がってしまって、海外からの要請がありコメントは英語で書かなくてはいけなくなりました。聞く、話す、書くが出来ない三重苦の僕にとっては、

「うっざ~」ってな感じです。

というわけで、今日は日本語と外国語について。

     穂積陳重『法窓夜話』

穂積陳重は明治の法学者。ドイツなどに遊学し、26歳の若さで東大法学部の教授、学部長に就任。ボアソナード民法に反対、民法起草委員に任命され現在の民法を作った人として有名です。

その日本民法の父とでもいうべき人が書いた法学エッセイが『法窓夜話』。

古今東西の法学エピソードが集められており、ソクラテス、キケロ、ギボン、ライプニッツ、モムゼン、シェイクスピア、ベンサム、サヴィニー等々、書中にでてくる(ということは原典を読んだと思われる)西洋の固有名詞だけでも相当の博覧強記の人であったことがわかります。

     法律の学語

『法窓夜話』のなかに「法律の学語」という一章があります。若干引用します。

○現時用いている法律学の用語は、多くはその源を西洋の学語に発しておって固有の邦語または漢語に基づいたものは極めて少ない。・・・我輩が明治14年に東京大学の講師となった時分は、教科は大概外国語を用いておって、・・・明治20年頃に至って、初めて用語も大体定まり、不完全ながら諸科目ともに邦語をもって講義をすることが出来るようになったのであった。

以下の章で何例か具体例が出ていますが「共和政治」を例に取ると、以下のようです。

○オランダ語のRepubliekという字に出会い、その字義を辞書で求めたところ、君主のない政体をレピュブリークと称するとあった。しかし国に君主のない政治ということは当時の我国人にとっては殆ど了解の出来ないことであったので、・・・当時の老儒大槻盤渓先生を訪ねてその適当なる訳語を問うた。・・・周・召の二宰相がともに協力して14年の間国王なしの政治をしたことが「十八史略」にも「二相周召共理国事。曰『共和』者十四年」と見えているから国王のない政体は「共和政治」というのが宜しいであろうといわれた。

以上のようにこの本は、西洋からの知的インパクトを、江戸時代までの公文書で用いられていた漢学の知識を用い、やまとことばの文脈に適合させていった過程が同時代人の目線から生々しく描かれています。ラテン語のres publica(民のもの)という語源を持つrepublicが何故「共和」なのか永らく疑問でしたが(中国ですら中華人民「共和」国として使っている!?)、これにて解決!

     水村美苗『日本語が亡びるとき』

水村美苗は夏目漱石の未完の大作『明暗』の続編を、平成の日本で『続明暗』として擬古文調で書いてしまった異形の女流作家です。

『明暗』を読んだ人ならば、一度は続きを読んでみたい、書いてみたいというほのかな野望を持ってもおかしくないのですが、本当にやってしまったところがこの人のすごいことろです。

もうひとつ脱線すると、水村美苗の旦那は経済学者の岩井克人。イェール遊学時を描いた自伝的小説『私小説from left to right』では「殿」と呼ばれています。昔『文学界』で夫婦対談を読んだことがあって彼女は「岩井クンさあ」とか呼んでました。こいつら文壇の山下達郎夫婦か!(恒例の夫婦放談!?)と思った記憶があります。この『日本語が亡びるとき』にも岩井克人の『貨幣論』をなぞったロジックが出てきてたりもします。

     国民文学とは?

『日本語が亡びるとき』の扉は夏目漱石『三四郎』の引用から始まります。

     「然し是からは日本も段々発展するでせう」と弁護した。

すると、かの男は、すましたもので、

「亡びるね」と云った。

この本は細部の分析や指摘に光るところが多いのですが、強引に著者の主張を要約すると次のようになります。

さまざまな時代で「普遍語」(universal language)と「国語」(national language)の緊張感が生じたが、その緊張感の中においてこそ「国民文学」が生じ、輝きを放つ。まさに夏目漱石を代表とする明治時代は「洋学」「外国語」のインパクトから「国語」が生まれ、そこから「国民文学」がうまれた。われわれ日本は非西洋近代においてそのような「国民文学」~言い換えればune litterature majeure 主要な文学~を持つことができた奇跡を持つ。ただし、現在はグローバル化の時代の潮流から「英語」が「普遍語」として流通し、現代の日本文学は風前の灯である。一旦、「国語」が成立してしまえば、「普遍語」との緊張感を忘れて「国語」の自足的な環境の中で「国民文学」も緊張感を失う。これからはエリートとして複数の言語を使う「二重言語者」を意識的に養成しなければ「国語」や「国民文学」自体が亡んでしまう。

といったところでしょうか。

     続『三四郎』?

このような遠大な構想を持った『日本語が亡びるとき』は、実は主張の妥当性を詮索するより、続『三四郎』として水村美苗が書いた思想小説として読んだ方が面白いように思われます。以下、本文から引用します。

     東京の大学へ向かう三四郎は「図書館で研究する。著作をやる。世間で喝采する。母が嬉しがる。と云う様な未来をだらしなく考へ」る。それから一年経ち、その三四郎の大学生活の一年目が終わったところで、『三四郎』という小説は終わる。そのあと、いったい三四郎はどうなるのだろう。卒業したあと、大学に残って「著作をやる」のだろうか。それとも漱石のように、大学を飛び出して「著作をやる」のだろうか。<国語>としての日本語で書く一知識人として、かれはのちにどのような運命を辿ることになるのだろうか。

まさに、ここがこの本の白眉となる文章です。

高田里惠子『グロテスクな教養』で指摘された通り東大・京大その周辺の男性と女性の生き方」として教養が定義されるとしたら、教養人の一人の女性、水村美苗が「どのように生きるべきか、書くべきか」という生き方を描いた思想小説として『日本語が亡びるとき』は読まれるべきと思われます。その意味で、これは水村美苗の続『三四郎』なんだろうなと思います。

     結論のようなもの

で、僕がこれらの本を引用して何を言いたかったのかというと、「とはいえ、英語で書くのはいやだなあ」ということもあるのですが、一つには「もしかしたら日本語の時代が来るのではないか」ということです。確かに英語でコメントを書かなきゃいけない事態は現実にあるのですが、一方で、中国から来る書類は皆「日本語」で書かれていたりもするのです。中国人からみれば日本企業は「外資系」で、就職に役に立つということで、北京大学等の有名大学卒の中国人は日本語が出来る人が多いようです。

アメリカの金融機関がこぞってコケて、政府管理下に入ったり、日本の金融機関から救済されている今となっては「もしかしたら日本語が『普遍語』になるチャンスだってあるのではないか」と淡い期待を抱いたりもします。

で、日本語が普遍語になる条件はいったい何かと考えてみたりもしたのですが、結論としては「まずは英語であろうと日本語であろうと、本質を理解して、言語を使える人になること」、なのではないでしょうか。周りを見渡せば、日本語であろうと普遍語であろうと、いくら発音できても内容が伴わなければ、という人も心当たりがないわけではないので...。

では。

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